望月琉叶の本名や両親は?大学や年齢も!内定を蹴って演歌歌手へ

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2020年7月に演歌歌手としてソロデビューした望月琉叶(もちづきるか)さん。

演歌界の中でも若くて可愛くて実力のある新人として注目を浴びています。

望月琉叶さんは、演歌歌手の他にもアイドルやグラビアアイドルとしてマルチに活躍する「グラビアもできる演歌歌手」としても知られています。

そんな彼女は『第63回 輝く!日本レコード大賞』で新人賞を受賞しました!これからさらに話題になること間違いなしです!

今回は、望月琉叶さんの本名や両親、大学やこれまでの経歴などと演歌への熱い想いについても調べてみました。

望月琉叶の本名はなに?

望月琉叶(もちづきるか)さんの本名は公表されていないため、判明しませんでした。

情報が入り次第、追記します!

ちなみに「琉叶」という芸名は、望月琉叶さんの母親が気持ちを込めて付けてくれたようで、可愛い名前を本人はとても気に入っているそうです。

琉叶で「るか」という読み方が珍しくて、とてもかわいいですよね♪

望月琉叶の両親や兄弟姉妹は?

望月琉叶

望月瑠叶さんに兄弟姉妹はいません

一人っ子で、両親から可愛がられて育ちました。

望月瑠叶さんの母親は着付け師で、若い頃は演歌歌手を目指していました。

しかしその夢は叶わず、娘に「音楽で食べていってほしい」と夢を託しています。

祖父も演歌歌手を志望していたことがあり、演歌歌手の弟子だったようですが、戦争で亡くなられたそうです。

母親と祖父の夢を引き継ぎ、望月瑠叶さんが演歌歌手になることで、親子3代の夢を叶えられたというので感動ですね!

父親は画家で、望月瑠叶さんは影響を受けてかピカソの絵が大好きだと言い、自身もイラストが上手いと定評があります。

所属する『民族ハッピー組』のシングルCDジャケットの絵も何枚か手掛けているようで、多才さが見られます。アーティストの才能は親から受け継いでいるのでしょう。

 

最初は父親が演歌歌手になることを反対していましたが、デビュー後にオリコン演歌・歌謡ランキングで1位を獲得したことで、現在は活動を応援してくれているようです。

望月瑠叶さんには兄弟姉妹がおらず、一人っ子です。家族からたくさんの愛情を受けて育ち、両親はいつもそばで守ってくれる存在だと感謝を示しています。

望月瑠叶さんは、とても家族想いなのですね。両親が背中を押してくれるのは、とても心強いことです。

望月琉叶の出身高校・大学は?

望月瑠叶さんの出身校は情報がなく、高校に関する詳細はわかりませんでした。

大学は東洋大学を卒業しています。

詳細が分かり次第、追記したいと思います。

 

ただ、小学生のころから歌手を夢見ていた望月瑠叶さん。

中学校では吹奏楽部に入り、腹式呼吸の練習を行っていたそうです。

高校に入ってからは、本格的に歌手デビューを志し、たくさんの芸能事務所やレコード会社のオーディションを受けられていました。

中にはグラビアやアイドルとして誘われたり、ソロ歌手ではなくグループ活動として合格を受けたりするも、望月瑠叶さんは目標としていた演歌歌手と違うと感じて、活動は断っていたようです。

この頃から、演歌に対する思いやこだわりはとても強かったのですね。

高校時代は特に辛いことが続いたのか、3年生の最後のほうは学校にいけない期間があったと言います。

具体的な理由は明かされていませんが、オーディションを受けながら学業を両立するのは、並大抵の努力では無かったのでしょう。

 

大学は、東洋大学に4年間通い、卒業しているようです。

所属していた学部について詳しいことは分かりませんでしたが、高校・大学ともに軽音部でギターとボーカルをしていたと言われています。

ここまで望月瑠叶さんはPOPS系のボイストレーニングに力を入れていました。

しかし、大学生のときに何気に歌った演歌に惹かれ、歌詞や曲調に惚れ込み、有名な演歌を少しずつ歌うようになりました。

望月瑠叶さんの中で、演歌が大きな存在になってきたのでしょうね。

大学時代には、両親が海外に行く機会を与えてくれたおかげで、米国のハーバード大学や英国のオックスフォード大学で語学研修を受けたり、マレーシアでボランティア活動をしたりしてグローバルに動いていたようです。

他にも友人と韓国やハワイへ旅行に行ったりして、様々な経験をされました。

学生時代から海外に行くチャンスをくれた両親に、望月瑠叶さんはとても感謝しているようです。

何事にも挑戦できる環境があるということは、素敵なことですね!

望月琉叶の年齢プロフィールは?

望月瑠叶さんの年齢は、2021年12月現在25歳です。

望月琉叶さんのプロフィールを以下にまとめました。

名前望月 琉叶(もちづき るか)
生年月日1996年7月15日
出身地神奈川県
血液型A型
身長153.5cm
体重42.5kg
スリーサイズB83、W58、H82
趣味音楽鑑賞、創作ダンス
特技絵を描くこと
将来の夢NHK紅白歌合戦に出場すること
職業演歌歌手、アイドルグループメンバー、グラビアアイドル
所属事務所ハップレコーズ合同会社
レーベル日本コロムビア株式会社

アイドル、グラビア、演歌歌手と3つの顔を持ち、どれも100%で向き合う望月瑠叶さん。

演歌には艶やかな歌や歌詞があるので、大人っぽさを表現するために、グラビアで自分の見せ方を勉強していると言います。

若いながらも多方面で活躍していることは素晴らしいですね。

『民族ハッピー組』ではDJとして活躍しており、担当カラーはピンクのようです。

望月琉叶の経歴は?

ここで、望月瑠叶さんが演歌歌手になりたかった理由や、アイドルになった経緯、演歌歌手になった経緯を見てみましょう。

演歌歌手になりたかった理由

望月瑠叶さんは神奈川県で生まれ育ちました。

親戚が高齢だったため、幼い頃から家で有線を通じて演歌歌謡を聴くことが多く、演歌は自然と耳に馴染んで好きだったようです。

小学生のときは美川憲一さんの「柳ヶ瀬ブルース」にハマり、歌い方や品のある雰囲気、大人のカッコいい世界に惹かれていました。

同級生と行くカラオケでも堂々と演歌を歌うほど好きだったと言います。

小さい頃から演歌の魅力を知って育ったのですね。

音楽も好きで、3歳からヤマハ音楽教室でピアノを習いはじめています。

演歌が身近なところにあり、親の夢を引き継ぐ形で、演歌歌手を目指すのは望月瑠叶さんにとって必然的だったのかもしれませんね。

アイドルになった経緯

望月瑠叶さんは高校から大学での就職活動期間中まで歌手のオーディションを受けていましたが、合格したところはどこも演歌と関係がなく、加入を断っていました。

大学4年生の夏、既に就職内定が決まっていましたが、友人と代官山でショッピングしているときに現在の事務所の社長からスカウトを受けました

はじめは怪しいと疑っていた望月瑠叶さんですが、母親を交えて社長の話を聞き、「演歌歌手」の響きに惹かれて、思い切って内定を蹴り、アイドルグループ『演歌女子ルピナス』への加入を決意しました。

2018年、望月瑠叶さんは『民族ハッピー組(旧:演歌女子ルピナス)』としてデビューを果たしました!

当時の『演歌女子ルピナス』は、「演歌を世界へ!」をコンセプトにして2015年に結成されたグループで、結成4年で世界28公演を海外で行いました。

一定の成果を上げたことで、次の目標を「すべての民族がハッピーになる活動を」に変更し、2019年8月にグループ名を『民族ハッピー組』に改名しています。

大学生だった望月瑠叶さんは、当時ライブ出演や遠征に行くことが難しく、部屋から配信サイトで活動することが多かったので、『在宅アイドル』と呼ばれていました。

また、当初はアイドルを目指していたわけではなかったため、「向いていない」と思うこともあったようです。

幼少期からクールな性格だったこともあり、最初はアイドル活動が恥ずかしかったと思うことも。

それでも、グループの合言葉である「演歌を世界に」を思いながら活動していました。

『民族ハッピー組』に改名されてからも、「演歌を世界に」という気持ちは引き継いでいると言います。

演歌歌手になった経緯

望月瑠叶さんは『民族ハッピー組』でアイドルグループとして活動するも、ソロとして活動したいという気持ちは消えませんでした。

実際、ライブではソロで演歌を歌を歌う機会も多く、「演歌の望月瑠叶」としてファンに親しまれ、歌唱力に大きな評価を得ていたこともあります。

そんな中、ソロアイドルを集めたアイドルソロクイーンコンテストに出場したところ、ダンスは0点だったものの、歌唱力だけでファイナリストへ進んだ望月瑠叶さん。

歌唱力のみでファイナリストへ進めるなんて、かなりの実力と言えますね!

演歌歌手になりたいという思いが強まりつつ、望月瑠叶さんはプロのアイドルの歌うま決定戦にも出場しました。

そこで細川たかしさんの「望郷じょんから」を歌って最高点を獲得し、ソロデビューすることを決意されました。

それから、2020年7月にシングル『失恋慕情』をリリースして念願の演歌歌手デビュー!

このデビューシングルは、オリコンの演歌・歌謡曲ランキング&週間USENリクエストチャートで初登場1位を記録。

望月瑠叶さんはあっという間に人気歌手の仲間入りを果たしました。

2021年4月には、2ndシングル『面影・未練橋』をリリースし、こちらもオリコンの演歌・歌謡曲部門で2作連続初登場1位に輝き、素晴らしい記録を残しています。

グラビアアイドルになった経緯

きっかけは、イメージ写真を撮るときに「いいね」と言われてグラビア活動を始められました。

「グラビアもできる演歌歌手」としてデビューしたのは、2020年8月の「週刊ヤングジャンプ」です。

抜群のスタイルと美貌で、グラビアアイドルとしてもどんどん人気が出てきました。

その後、2021年2月にはデジタル写真集である「花のグラビア道」をリリースしたり、グラビアのイメージDVDである「初恋歌姫」を発売したり、『週刊プレイボーイ』に取り上げられたりすることもありました。

「花のグラビア道」には2020年11月に『週刊プレイボーイ』で撮影した初グラビアを収録しており、望月瑠叶さんは初めての野外撮影に緊張を見せていました。

しかし、和柄の着物や水着が用意されていて徐々に気持ちがリラックスしていったと言います。

これにより、「演歌歌手の望月瑠叶とグラドルの望月瑠叶」の両方の自分を表現できたと喜んでいました。

グラビア活動をしている理由について、望月瑠叶さんは「私はまだ子ども。グラビアでは自分の見せ方を勉強しています」と色気を勉強する意欲を見せています。

 まとめ

  • 望月琉叶さんの名前は芸名で、本名は非公表
  • 望月琉叶さんは一人っ子で、母親は着付け師、父親は画家
  • 母親と祖父から引き継いだ演歌歌手の夢を叶えた
  • 幼少期から演歌を聴いて育ち、音楽は身近なものだった
  • 高校時代は本格的に歌手デビューを目指してオーディション漬けの日々に明け暮れた
  • 大学までPOPS系のボイストレーニングをしていたが、何気に歌った演歌に惹かれて、演歌への思いが強くなった
  • 現在は25歳
  • 就職内定を蹴って『演歌女子ルピナス』に加入し、2018年にアイドルとしてデビュー
  • 2020年7月には1stシングル『失恋慕情』のリリースと共に演歌歌手としてデビュー
  • 2021年に『輝く!日本レコード大賞』の新人賞を受賞

今回は、演歌歌手の若手新人である望月琉叶さんの本名や経歴をまとめました。

『第63回 輝く!日本レコード大賞』新人賞を受賞したことで、注目が集まっている望月琉叶さん。

アイドル、演歌歌手、グラビアとの”三刀流”にどれも100%で取り組む姿勢は、応援したくなりますね。

そんな望月琉叶さんの夢は『NHK 紅白歌合戦』に出場して日本中に名前を広めることと、自分の曲で誰かの人生を良い方向に変えられるような歌手になること。

2022年の活躍からも目が離せませんね!

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